僕が見たインパール(第一回続き)
「こりゃぁ、ダメだなぁ。」
そこから少し前の話。作戦反対派だった稲田総参謀副長が更迭され、
ビルマ方面軍より後方補給の面から再度反対意見が出るも、
「1か月で落とすのだから初めから補給は諦めて持参していけば良い」
「日本人は農耕民族で元来草食動物である。これだけ四方が草だらけであればいざという時も食うには困らない」
「地元民から牛を徴発してその牛に荷物を運ばせ、運んだ先で牛をつぶして食べればよい。名づけでジンギスカン作戦だ!」
と言い、
今岡後方参謀が「作戦がどこかで詰まり1か月以上かかる場合はどうなるか?」
と言う質問には第十五軍の作戦主任・木下参謀が
「絶対にそんな事にはなりません!」と強い口調で言い切るので、会議も『そんなものかな』と言った空気で議論が進んだ。
この研究会議で綾部総参謀副長の決心は固まり、ビルマ方面軍司令官・河辺中将に意見を求めた。
河辺中将は稲田・片倉参謀が作戦反対意見を言った時も唯一反対意見を述べず、「彼の熱意愛すべし」と日記に残したほどかつての部下を庇った人物だ。そんな人物が反対意見をのべる筈は無い。「是非実行されるように具申したい」といった。
綾部総参謀副長は昭和19年1月4日、東京の大本営にて報告。大本営の杉山参謀総長より「寺内さんたっての希望だからやらせてあげたい」と強い反対意見もなく、すんなり認可されてしまった。
そして前段に戻る。温情に近い形で作戦実行は認めたが、作戦実行のための戦力補強はほぼ行われたなかったのだ。それが後に日本兵たちを地獄に落とすことになるのである。