ごんちゃん日記

『太平洋戦争が始まった時、僕は中国にいた』祖父ちゃんの戦中日記。入隊から中国・インパール作戦・イラワジ会戦・メイクテーラ攻防戦、そして終戦までを描きます。

太平洋戦争が始まった時、僕は中国にいた(第四回・豊橋予備士官学校にて)

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昭和十五年十二月一日、僕は豊橋予備士官学校に入った。

生徒たちは外出を一切許されず、土日も当然の様に全く休みも無く訓練を受け続けた。

 

ここでとある陸軍士官学校での一日の様子を載せておく。

5:30 起床

   日朝点呼 体操 乾布摩擦

   洗面 掃除 宮城・故郷遥拝 勅諭奉読 雄健神社参拝

6:30 朝食 (冬は7:00)

   自習時間

 

8:15 校庭に集合 服装検査

   学科 4時限

   数学・英語・ロシア語・ドイツ語・中国語・フランス語・

   国語・漢文・倫理・心理・歴史・化学・物理・数学・地学

 

12:00-13:00 昼食

   実科 2時限(~16:00)

   教練・射撃・剣術・体操・柔道・馬術・陣中勤務

 

16:10-17:00 随意運動

 

17:00-18:00 随意時間 兵器の手入れ・洗濯・入浴・散髪等は、すべてこの時間に行う

 

18:00 夕食

 

夕食後-19:00 号令調整・軍歌演習

 

   軍歌演習の後、酒保(売店)にてうどん・しるこ・あんぱん

   菓子を腹一杯食べる 1日の最大の楽しい時間

 

19:00-21:00 自習時間 (1日の自習時間は、朝と夜合わせて3時間)

   自習時間終了後、故郷の便りを読む

 

21:00 日夕点呼

21:30 消灯

 

これを毎日行うのだ。

特に語学、とりわけ中国語・英語に関してはかなり念入りに勉強した。

ぼくの勉強法は辞書の丸暗記。例文を含めてとにかく全て頭に叩き込んだ。

おかげで後の中国での生活や、南方戦線でのイギリス軍の情報解析にも役に立った。

 

また僕ら五期生だけ、他の幹部候補生の世代と違ったことは小隊長、中隊長の訓練だけではなく大隊長としての訓練を受けたことだ。

通常の幹部候補生は小隊長、中隊長の六か月間の教育で卒業となっていたが、僕たち五期生は二か月多い八ヶ月間教育を受け、大隊長の指揮能力まで教授された。

大隊長とは兵力約千五百人の部下を持つ者である。

この為、五期生では少尉でも大隊の指揮を執った者もいた。

 

のちに知った事だが東京の参謀本部陸軍省教育総監部では、昭和十六年の初め頃から対米英開戦の準備に入っていて、大隊長クラスの損害をある程度多くなると予測し、大隊長の育成が必須だと考え、急いで五期生にだけ大隊長教育を施した様だ。

昭和十六年七月二十五日、予備士官学校を卒業すると同時に、陸軍見習士官を拝命、将校の列に加えられた。

 

僕は中支南京の十五師団に配属され、直ちに原隊に復帰した。