太平洋戦争が始まった時、僕は中国にいた(第四回・豊橋予備士官学校にて)
生徒たちは外出を一切許されず、土日も当然の様に全く休みも無く訓練を受け続けた。
ここでとある陸軍士官学校での一日の様子を載せておく。
5:30 起床
日朝点呼 体操 乾布摩擦
洗面 掃除 宮城・故郷遥拝 勅諭奉読 雄健神社参拝
6:30 朝食 (冬は7:00)
自習時間
8:15 校庭に集合 服装検査
学科 4時限
数学・英語・ロシア語・ドイツ語・中国語・フランス語・
国語・漢文・倫理・心理・歴史・化学・物理・数学・地学
12:00-13:00 昼食
実科 2時限(~16:00)
教練・射撃・剣術・体操・柔道・馬術・陣中勤務
16:10-17:00 随意運動
17:00-18:00 随意時間 兵器の手入れ・洗濯・入浴・散髪等は、すべてこの時間に行う
18:00 夕食
夕食後-19:00 号令調整・軍歌演習
軍歌演習の後、酒保(売店)にてうどん・しるこ・あんぱん
菓子を腹一杯食べる 1日の最大の楽しい時間
19:00-21:00 自習時間 (1日の自習時間は、朝と夜合わせて3時間)
自習時間終了後、故郷の便りを読む
21:00 日夕点呼
21:30 消灯
これを毎日行うのだ。
特に語学、とりわけ中国語・英語に関してはかなり念入りに勉強した。
ぼくの勉強法は辞書の丸暗記。例文を含めてとにかく全て頭に叩き込んだ。
おかげで後の中国での生活や、南方戦線でのイギリス軍の情報解析にも役に立った。
また僕ら五期生だけ、他の幹部候補生の世代と違ったことは小隊長、中隊長の訓練だけではなく大隊長としての訓練を受けたことだ。
通常の幹部候補生は小隊長、中隊長の六か月間の教育で卒業となっていたが、僕たち五期生は二か月多い八ヶ月間教育を受け、大隊長の指揮能力まで教授された。
大隊長とは兵力約千五百人の部下を持つ者である。
この為、五期生では少尉でも大隊の指揮を執った者もいた。
のちに知った事だが東京の参謀本部、陸軍省、教育総監部では、昭和十六年の初め頃から対米英開戦の準備に入っていて、大隊長クラスの損害をある程度多くなると予測し、大隊長の育成が必須だと考え、急いで五期生にだけ大隊長教育を施した様だ。
昭和十六年七月二十五日、予備士官学校を卒業すると同時に、陸軍見習士官を拝命、将校の列に加えられた。
僕は中支南京の十五師団に配属され、直ちに原隊に復帰した。