太平洋戦争が始まった時、僕は中国にいた(第三回・徴兵検査)
昭和14年、関西の私立大学を卒業した僕は徴兵検査を受けることとなった。
前日は緊張して中々眠れなかったが、朝起きて4月の少し肌寒い空気に身が引き締まった。
検査場は広い講堂みたいなところで、そこで服を脱がさせられフンドシ一丁になったのだ。
初めは寒かったが裸の男達全員から発せられる熱気みたいなもので部屋の中が段々と暑くなっていった。
そんな時に受付の人から冷たい墨汁で胸のあたりに番号を書かれてヒヤッとしたのだ。
セリ前の豚か牛などの家畜に準備をしているかのように。
検査内容は身長、体重、胸囲、握力などの身体測定が主だった。
その検査の後に性病検査が行われたのだが、そこではフンドシまで外し、衛生兵の腕章を付けた人に「四つん這いになるよう」に指示をされ、彼にキャン玉をギュッと掴まれあれこれ検査されたのだ。
検査自体はそれで終わりであったが中々の痛さであった。
結果は甲種合格となり現役兵として奈良・三十八連隊に入隊を命じられた。
20日間奈良に滞在したのちに中支派遣が決定し、南京駐屯の第十五師団に所属する事となった。
初年兵教育は赴いた南京軍官学校の連隊に於いて受ける事となった。
ところが教育期間中とはいえ、いきなり討伐作戦に参加させられまさに実戦で鍛えられていった。
戦闘行為を毎日繰り返し、特に敵団の下をくぐる教育(浸透戦術のことだろうか?)を続けさせられた。
この期間3ヶ月の教育が終了し、と同時に第一期検閲を受けた。
更に幹部候補生の採用試験を受験、約700人の中で100人が合格し、僕も幹部候補生教育隊に入隊した。
その後6ヵ月間、更に討伐作戦に絶えず参加させられ、実戦教育を受けた。
次に甲乙二分科試験の結果、僕を含む40名が甲種となり、愛知県・豊橋の予備士官学校に入校する為、帰国した。