ごんちゃん日記

『太平洋戦争が始まった時、僕は中国にいた』祖父ちゃんの戦中日記。入隊から中国・インパール作戦・イラワジ会戦・メイクテーラ攻防戦、そして終戦までを描きます。

太平洋戦争が始まった時、僕は中国にいた

 

 

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昭和十六年十二月八日、日本海軍はハワイ真珠湾を奇襲攻撃、日米開戦。

タイ・マレー国境を日本軍が越えて、英軍に攻撃。

台湾から発進した戦闘機によりフィリピンを空襲、

フィリンピンのリンガエン湾より上陸する為の準備攻撃を続けた。

これにより、米英支蘭四国に対し、宣戦を布告し大戦に入った。

 

 

同日、中国戦線第十五師団司令部において教官教育を受けていた僕を含め、

師団の教官全員を赤鹿歩兵師団長(当時少将)が講堂に集め、開戦を知らせられた。

夜半、一通りの説明を聞き教官である将校達も気持ちが高揚したり動揺したりする中、

おもむろに師団長より半紙を切ったものを全員に配られた。

「この戦争は勝つか負けるか、〇×で答えよ。〇は勝利、×は敗北。

無記名で提出しなさい。」

僕は迷うことなく×を付けた。他の皆も印をつけ、

半紙を綺麗に畳んで師団長に提出していた。

師団長が一つ一つ丁寧に開け、「○」「×」と告げ黒板に数を記していく。

 

結果×は八割、〇は二割だった。

なんと、ほとんどの将校達は勝てるはずがない、と判断していたのだ。

ここでの教官の構成では予備役(元々は一般人)が八割、職業軍人が二割だった。

偶然にもその数は一致したのである。

赤鹿少将は

「資源、工業力、経済力及び彼らの持つ合理的思考は十二分に知っている。

長く戦闘をする利は無い。早く講和を結ぶ方向でやらないと日本は必ず負ける。

×組は敵の資源、産業力を知っていて×を付けたのであれば懸命だ。」

と結論付けられた。

赤鹿少将は長年、駐米大使館付武官を務めていた人で米国の状況に詳しかったのだ。

〇組は「日本人には資源や経済力は劣るが大和魂で以って臨めば負ける事はない。」

と意見する者もいたが、

「日本人に大和魂があるなら、アメリカ人にはヤンキー魂がある。」と

×組から反論もあった事を記憶している。

後事、少将の言った通りになって、日本敗戦の日を迎える事となるのだ。

 

 

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